かひのしづく

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ハワーズ・エンド

📖現代にも通じる多くの示唆にあふれた作品📖

フォースターの長編の中で『ハワーズ・エンド』もまた大好きな作品です。淡々と過ぎていく家族の物語に見えて、その実、当時のイギリスの置かれていた状況と、その将来の姿が浮かび上がってくるように感じられます。

それぞれの登場人物が、各々の階級によって、あるいはどのような場所に属しているかによって、どのように生きているか、又は生きざるを得ないか…イギリスが、産業や技術の発展のもたらす都市への人口の流入と、それによる都市の膨張によって、何を得て、何を捨てようとしていたのか…いくつもの示唆を得ることができる作品だと思っています。

ロンドンに住む主人公のシュレーゲル姉妹(弟もいますが)は、ドイツ人の父とイギリス人の母を早くに失い、長女のマーガレットが若い頃から家長として家を切り盛りしています。資産があるため、働かなくても贅沢な生活を営むことができ、音楽会に行ったり、インテリ仲間との討論会に参加したりして日々を過ごしています。

そんなある日、姉妹は音楽会の会場で、ふとしたきっかけから、貧しい青年レナード・バストと出会います。

レナードについての作者の説明は辛辣ですが、格差の広がる現代日本に生きる労働者として、私自身とても身につまされます。

”The boy, Leonard Bast, stood at the extreme verge of gentility.(中略) he was inferior to most rich people, there is not the least doubt of it.”

この青年、レナード・バストは、紳士としてふるまえるぎりぎりのところにいた。(中略)彼が多くの金持ちよりも劣っていることは、疑いもなかった。

”His mind and his body had been alike underfed, because he was poor, and because he was modern they were always craving better food.”

貧しいがゆえに、彼の心と体はどちらも栄養不良で、そして近代人であるがゆえに、常にもっと良い食物に飢えていた。

”Had he lived some centuries ago, (中略)he would have had a definite status, his rank and his income would have corresponded.”

もし、彼が何世紀か前に生きていたのなら(中略)彼の身分は明確で、彼の地位と収入とが一致していたことだろう。

”But in his day, the angel of Democracy had arisen, (中略)proclaiming, ’All men are equal—all men, that is so say, who possess umbrellas,’ and so he was obliged to assert gentility(後略)”

しかし彼の時代には、デモクラシーの天使が現れ(中略)「全ての人間は――即ち、傘を所有する全ての人間は平等なり」と宣言したのだ。(中略)だから彼は、紳士であると主張せざるをえなくなったのだ。

レナードは、祖先はおそらく地方で農業などの肉体労働に従事していたであろうに、何代か前の世代が大都市の産業の発展に吸い寄せられてロンドンにやってきて、継代の結果、肉体労働をしていた祖先が持っていたはずの頑健さをすでに失い(もう田園での生活には戻り得ず)、一方で都市において上流階級に立ち混じることができるほどの収入も教養も手にすることができず、日々の生活に喘いでいる存在として描かれています。

もし何世紀か前であったなら、彼は田園の肉体労働者として、相応の身分にしっかりと腰を落ち着けて、その身分相応の収入でそれなりに暮らしていたはずです。

しかし、彼は現代のロンドンで勤め人として暮らしているがゆえに、どん底の貧困に落ち込む一歩手前のような収入しか得られないにもかかわらず、紳士であること、或いはその「ふり」を止めることはできません。そこにしがみつくことを、彼自身が望んでいるのは勿論ですが、勤め人である以上、社会が彼に求めていることもまた、紳士のふりを続けることなのかもしれません。

 産業の発展が大都市にもたらした結果の一つが、多くのこのような人々なのです。現代日本の都市においても、同じような現象が起きていないとはいえない、そんな風に感じさせられます。