かひのしづく

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ハワーズ・エンド(2)人生の座布団

E.M.フォースターの小説『ハワーズ・エンド』には、異なる階級の人間たちの交流が描かれています。主人公であるシュレーゲル姉妹は十分な財産があり、裕福なので仕事をする必要がなく、インテリとしての生活を十分に楽しんで生きていける立場にあります。所謂「高等遊民」といったところでしょうか。

さて、そのシュレーゲル姉妹のうち、姉のマーガレットが、お金について語るくだりがあります。(日本語は大意)

“But after all,(中略) there’s never any great risk as long as you have money.”
「でも結局のところ、(中略)お金さえあれば、大きな危険などありません」

“You and I and the Wilcoxes stand upon money as upon islands.”
「叔母様と私、そしてウィルコックス家の人々は、お金の島の上に立っているのです」

“But Helen and I, we ought to remember, when we are tempted to criticize others, that we are standing on these islands, and that most of the others, are down below the surface of the sea.”
「でも、ヘレンと私が他人をあれこれ言いたくなった時に覚えておかなければならないのは、私たちがそうした島の上に立っていて、他のほとんどの人たちは、海面の下に沈んでいるということです」

“I stand each year upon six hundred pounds, and Helen upon the same, and Tibby will stand upon eight, and as fast as our pounds crumble away into the sea they are renewed—from the sea, yes, from the sea. An all our thoughts are the thoughts of six-hundred-pounders, and all our speeches;(後略)" 
「私は年600ポンドの上に立っていますし、ヘレンも同じです。ティビーは800ポンドの上に立つことになります。そして私たちのお金が海の中へ崩れ落ちるが早いが、お金が生まれてくるのです。海の中から。そう、海の中からです。そして私たちが考えることは、年600ポンドの収入の人間が考えることですし、話すこともそうなのです。」

彼女は自分が一定レベルの金持ちであることをはっきりと口に出して認めています。そして、年600ポンドのお金の島の上に立っている自分は所詮、海面の下に沈んでいる貧しい人々の立場に立って考えることはできない、それをまず認識すべきだということでしょう。

安定した十分な収入を、フォースターは「お金の島」と表現していますが、私は日ごろ、「座布団」のようなものとイメージしています。(うまい大喜利などを披露すると司会者から座布団をもらえる番組がありますよね、あのイメージです)ある者は、自分の親なり先祖なりが大喜利をうまくこなして積み上げた多くの座布団をもらい、生まれた時から何枚もの座布団の上に座っています。それはお金をはじめとする資産、または良い家庭環境や愛情、人の縁、精神や肉体の健康、優れた容姿などであるかもしれません。

そういう恵まれた人々は、たとえ1度や2度、へまをしたり、小さな不幸に襲われたりして、1枚や2枚の座布団を没収されたとしても、痛くもかゆくもありません。いや、多少、痛かったりかゆかったりはするかもしれませんが、人生の土台が崩れ去るほどの痛手はうけないでしょう。なぜなら、使い切れないほどの座布団のストックがあるからです。

しかし、親世代が貧しかったり、或いはよい家庭環境を与えられずに健やかな精神を育むチャンスを奪われていたり、または助け合えるような人間関係を親から引き継ぐこともできない…そういった調子で引き算が重ねられた結果、例えば平均的な人が5枚の座布団の上に生まれて育つところ、もし2枚の座布団しか与えられていなければ、1回、2回の小さな失敗や挫折で、冷たい床の上に座ることになり、そこから這いあがるには、よほどの才覚なり運なりが必要になります。長い間冷たい床に座っていると、その冷たさに慣れてしまったり、体が凍えてしまったりして、最後には自力で座布団を得ようとする気力も失われるかもしれません。

私は働き始めてから、このように感じるようになりました。自分には、決して多くはないものの、数枚の座布団が与えられていること、そしてその有難さに気づいたからです。

ともあれ、シュレーゲル姉妹はお金の島の上に立っていますが、彼女らと出会う青年レナードは、水面の下にいる人々に属しています。異なる属性(階級)の者同士の出会いから、大小の事件がさざ波のように起こることになります。

ちなみにフォースター自身は、親類から譲り受けた十分な財産があり、大学卒業後もあくせく働く必要はなかったようです。庶民からすると、うらやましい限りですね。