かひのしづく

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ロンゲスト・ジャーニー(2)

🐰「話し合える時に会いに行くのさ」📖

英国作家E.M.フォースターの作品『ロンゲスト・ジャーニー』には、素晴らしい言葉がちりばめられています。就中、私が好きなのは、アンセルの次のような台詞です。

 

だめだよ、ウィッドリントン。だめだ。ぼくたちは、人が幸せだからとか不幸せだからとかの理由で、会いに行ったりしないんだよ。話し合える時に行くのさ

(訳文はみすず書房E.M.フォースター著作集1『ロンゲスト・ジャーニー』(訳:川本静子氏)から引用させていただきました)。

これは主人公のリッキー(フレデリック・エリオット)が自らの心を欺きつつ、表面は経済的に安定しつつも精神的にはみじめな結婚生活を無自覚に送ることによって破綻をきたしているのでは、と危惧した学友たちが、「リッキーを救い出すべく、彼に会いに行くべきか否か」について話し合っている場面において、リッキーの親友アンセルが友人ウィッドリントンに対して発する言葉です

アンセルは哲学専攻の、理屈っぽいところのある人物ですが、物語の中で常に本質を突く言葉を投げかけ、主人公リッキーに啓示を与え続けます。

この場面でアンセルは「話し合える時に行くのさ」と述べています。彼がはっきりと見抜いているのは、もし自分がリッキーを救うために彼の元に「駆け付けた」としても、リッキーと真の語らいができないのであれば、行く意味がないということでしょう。それでは彼を救うことに全く寄与しないどころか、行かないのと同義であって、そのような無意味な行動は自分の望むところではない…リッキーへの友情と愛を自覚し、心の底からリッキーを救いたいと願ってはいるものの、アンセルの怜悧な頭脳は、自身が軽々な行動を執ることを決して許さないのです。

私たちの人生において、何か行動したものの、本質的には無意味であった、ということはままあることであり、むしろそういった行動でこの世は満ちているのかもしれない、そんなことに気づかせてくれる一言です。